物忘れと認知症(痴呆)



 「最近物忘れが多くなりましたが、ボケ(痴呆、現在は認知症と言います)の前ぶれでしょうか?」と言う質問をよく耳にします。そう言えば私もよく忘れるようになりました。新しい薬の名前など思い出さない事があります。でも、私は自分を痴呆と思っていません。どうしてでしょう。思い出さない薬はメモに書いています。それで仕事には支障がありません。物忘れは誰にでもあります。すべてが痴呆につながる訳ではないのです。

 さて、ここで物忘れについて説明します。記憶は脳の中で側頭葉内側の海馬と言う部分でまかなわれています。だからこの海馬の働きが低下すると物忘れが起こるのです。この海馬は虚血(血液の足りない状態)や打撲に弱いので、年令による脳血流量減少が起きるとその働きが低下します。すなわち記憶力が低下するのです。ですから物忘れは年令と伴に多くなる訳です。この海馬に障害が起きた場合、記憶力の低下がおこりますが、まめにメモを取ることで今まで通りの普通の生活が出来ます。痴呆ではないという事です。

 一方、痴呆は大脳の総合司令部と言われる前頭前野の障害で起こるものです。前頭前野は創造性、発想力、機転、感動、ユーモア、注意分散能力、集中力、決断力、具象化能力などに関係しています。痴呆の特徴は新しく体験した出来事ほど忘れてしまい、忘れたこと自体も覚えておらず、しかも物事全体を忘れてしまいます。これに対し、物忘れでは忘れるのは物事の一部だけで、忘れたとしてもヒントが与えられれば内容を思い出すことができます。また、痴呆の場合は進行とともに簡単な金銭計算ができなくなったり、迷子になったりと知的機能全般に障害が及びます。ごく初期の兆候として人柄や生活態度の変化、趣味活動の減少、無欲になる、何もしなくても退屈感を訴えない、物を取られたなどの妄想などが見られることがあります。一方老化現象だけではこのようなことは起こりません。物忘れと痴呆は別と言うことがお分かりになったでしょう。

 ところが、痴呆の初期症状は物忘れですから、軽い間は年令的な物忘れなのか、痴呆の始まりの物忘れなのか、分かりにくい事があります。時間がたてば痴呆による物忘れは行動や言動にも異常が見られ区別がつくのですが、それでは気付くのが遅くなります。ただ痴呆では物忘れをする事自体を忘れてしまうので、自分はどうもないと思ってしまう事が多いのです。自分の物忘れを心から心配する事はありません。だから自分が物忘れをすると心配している人は痴呆ではないと言うことです。他人から物忘れがひどいと指摘される場合は痴呆の可能性が高いです。簡単な見分け方ですが、結構当たりますよ。

 痴呆は大まかには脳梗塞などが原因で起こる脳血管性痴呆と年令と共に多くなる老年痴呆に分けられます。アルツハイマー病と言う病気をご存じの方も多いと思いますが、これは50才頃から物忘れで始まり痴呆が進行する病気です。アルツハイマー病は発症が早いので老年痴呆とは別の病気と考えられていましたが、研究が進むと老年痴呆と同じ病気である事が分かりました。それで老年痴呆をアルツハイマー型老年痴呆とも言います。神経細胞がどんどん死滅していくことが特色ですが、その発生原因は未だ分かっていません。最近痴呆が注目を浴びているのは痴呆の方が多くなったからです。それは平均寿命が延びて高齢の方が増えたからです。医学の進歩でどうにか長生きできる様になりましたが、脳の老化を防ぐ治療はまだ見つかっていないのです。
 痴呆の治療についてお話しします。脳血管性痴呆はその原因である脳卒中の再発防止の為の治療が必要です。例えば血液サラサラの薬を飲むとか、高血圧や糖尿病の治療を受けると言う事です。ただこれらの治療は痴呆に対しての治療ではありません。老年痴呆もそうですが、痴呆には残念ながら今のところ特効薬はありません。研究が進んで神経細胞間の伝達効率を上げる薬は出来ているのですが、神経細胞が減ってしまえば薬は効きません。神経細胞の減少を食い止める薬が発明されれば痴呆は解決されるのですが、原因が分からない以上その治療方法も見あたらないのです。

 でも、あきらめる必要はありません。残っている神経細胞を効率よく働かせる方法は幾つも知られているのです。特に痴呆症状が軽い場合は有効です。例えば、骨折などで入院し長期間臥床したら痴呆症状が出たと言う話はよく聞きます。しばらく臥床していると足腰が弱って歩きにくくなるのと同じで、脳も使わないと弱ってしまいます。廃用性痴呆と名前を付けている学者もいます。これを防ぐためには脳に適度な刺激を与える必要があります。最近算数の計算で痴呆症状が軽くなったとテレビで見ました。この方法はすでに多くの施設で行われている様です。昔から「碁をする人はボケない」と言われていました。碁に限らず日記を付けたり、好きな趣味をする事は脳の刺激になります。肥後狂句もいい刺激になると考え当院では皆さんと一緒に肥後狂句をしています。前向きに物ごとを考える姿勢をなくさないこと、家事や入浴、歯磨きなどをおっくうがらないこと、できるだけ多くの人と接する機会を持ち、おしゃれをする心を忘れず、趣味や好奇心を持ち続けるなどして、生き生きと毎日を送ること、これらが実践できる人は呆けません。逆の方は要注意です。介護保険の導入以来通所介護などのサービスが増えています。積極的にこういう施設を利用するのも痴呆の予防に良いと思います。

 残念ながら痴呆が進んでしまった場合、いろんな問題行動、例えば徘徊や幻覚や昼夜逆転に対する治療はありますが、痴呆の根本的な治療がないので、痴呆を治すという考えでなく、周りの負担をいかに軽減させるかを考える様にしなければなりません。周りが疲れたら本人を介護する事が出来なくなるからです。家族や周りの負担はかなりのものです。ショートステイや施設入所も必要でしょう。介護保険を上手に利用して家族の介護の負担を減らすことも現実的には大事な事です。

 さて痴呆の様に見えるが痴呆でない病気があります。手術の適応になるのに正常圧水頭症や慢性硬膜下血腫や脳腫瘍などがあります。他には甲状腺機能低下症や精神安定剤、睡眠導入剤の飲み過ぎも痴呆のように見えます。これらは治療をしたり薬を減らせば元に戻ります。俗に「治る痴呆」と言いますが、本当の痴呆ではありません。また若い人で物忘れが多くなった時はストレスなどが原因の事もあります。ストレスで物事に対する集中力が低下した為です。とにかく、物忘れが気になる方や痴呆が気になる方(こういう方はまだ大丈夫なのですが)は一度は専門の病院を受診して原因を調べた方が良いでしょう。当院でも「物忘れ外来」を行っていますので是非受診して下さい。


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